這い上がる!?

工場労働者の日々の小さな煩悩ブログ

青っぽい夜明け。

こんばんは!

 

今回のバイク談義、まず「歌に登場するバイク」という入りから語らせて頂きたい。

 

私は80年代「第一次バイクブーム」の世代であるのだが、当時、歌は世につれ世は人につれ(?)、特にアイドル歌手の曲にちょくちょくバイクが登場していたものだった。

 

ブームの渦中に夢中になっていた者の一人として非常に喜ばしい限りであるが、大抵の場合その「歌に登場するバイク」、実際はバイクに乗らない人が想像してストーリーを組み立てている(無論全ての作詞家はバイクに乗れ、などとムチャを言う気はない)のであって、我々愛好家が聴くと、「イヤイヤこんな奴おれへんやろ(笑)!」というのがほとんどであった。

 

曰く、当時某お笑い芸人にもツッコまれてはいたが、海辺にバイクを停めてもサビるだけだし、夕陽に向かって走ったって猛烈にまぶしいだけである。

 

なんだかな、世間一般でバイク乗りのイメージって、こういったちょいクサ目な感じなのかな。まあここ一番で(特に女性に対して)クサいセリフの一つも吐けない男はダメだ、というのが私の持論でもあるので、別にクサ目で構わないのだが。

 

ただ数少ない例外、その中でも特に印象深い一曲として、20年ほど前に活躍したバンドの作品で「GT400」という曲があった。当時クルマを運転中にFMから流れてきて、その足で即買いし、今でも良く聴いている。

 

作詞を手掛けられたこのバンドのメンバーさん、絶対バイク乗りだ。歌詞を追っていく。うんうん、バイク乗ってる時って、こんなとりとめのない事考えてるモンや。と、この曲を聴いていると、運転中の感覚がリアルに蘇って来るではないか。

 

このバイク乗り的名曲の中で歌い上げられている一節、これが今回のテーマになる。我々愛好家が好むのは「夕陽に向かって」ではなく「青っぽい夜明け」。理由は簡単。この未明~早朝にかけてバイクに乗ると、もう理屈抜きでメチャクチャ気持ちが良い。そこに一切のストーリーなど必要ないのだ。

 

週末、帰宅し夕飯を済ませたら、そのまま床に寝転がる。仕事の疲れもあり、大抵すぐ寝落ちする。ここが重要。もし布団に入ってしまうと、そのまま翌朝まで眠ってしまう。敢えて硬い床に寝転がる事で、やがて首肩や腰が痛くなり、絶妙にも深夜2時3時頃に目が覚める。そして、さあ、青っぽい夜明けを見に行こう!となる訳だ。

 

もちろん健康には全く良くないし、これをやると一発で昼夜逆転してしまうので、そんなしょっ中できる事でもない。しかしこんな暴走族のようなマネ、50歳を過ぎた今もどうにもやめられない。

 

話は飛ぶが、私はもう長いこと緑内障を患っている。視神経の劣化により視覚、特に視野に問題が出てくる病気だ。治らない病気として有名でもあるが、言ってしまえばこれ、病気というより老化現象の一つである。昔の人に言わせれば、歳取れば目は悪くなるし耳は遠くなる、それで当たり前。なので決して恐れず騒がず、月イチ位の定期健診で症状の進行を食い止める治療と、あとは神頼み位で丁度良いのだ。

 

神頼み。「眼力社」という眼力を養う、或いは眼病平癒という大変ユニークな(私にとってはどストライクな)ご利益を謳うお社さんとご縁があり、この眼力社さんへ月に一度、青っぽい夜明けを見ながら参拝している。数年前に偶然ネットで知った、「知る人ぞ知る」小さなお社さんである。

 

このナイトクルーズならぬ未明クルーズ、走りの気持ち良さとは裏腹に、実は大変危険な行為である。他の時間帯であれば大事に至らないような単独事故でも、発見、通報の遅れにより一巻の終わりという事例が多数報告されている。我々バイク乗りは気を付けねばならない「魔の刻」である。特に地図やナビを見ながら見知らぬ土地を走るのは避けた方が賢明だ。よって物好きな私でも通い慣れたいつものルートで楽しんでいる。

 

で、この眼力社さん、場所はというと京都東山三十六峰、その南端稲荷山の中腹に鎮座す・・・て、稲荷山という事は伏見大社の境内か。昼間は常に多くの参拝者でごった返すあの日本屈指の史跡、人の少なさそうな未明早朝に狙ってみようか、というのが事の始まりであった。

 

・・・ふむ。

前日の残業疲れで少々寝坊したが、まあいいか。それより困ったのは、速に乗れるSRを手放してしまっていた!!モンキーは現在原チャリあるあるの、ステムのガタの修理に出してる最中だし、当然電車バスは大絶賛営業時間外だ。ムーブ号で行くしかないか。今回は本当に選択肢ナシだな。

 

いつも利用する名神高速尼崎入り口を入った所。

高速道路の入り口としては最もシンプルなタイプで、ゲート過ぎのスロープが本線合流点に直線でつながっている。古い路線なのでアプローチも充分な長さはなく、登り坂を物ともしない強力な加速力が求められる。

 

バイクは楽なんだよなあ、ここ。しかし今日はこのシチュエーションがひどく苦手な軽四輪。安定のベタ踏みで対処する以外なかろう。

 

小休止。

みんな大好きな深夜未明の静かなSAだ。

「青っぽい夜明け」どうかな!?まだ少し暗いか。

 

門前町にある踏切。ここを渡ればほぼ到着。

今回道中の写真が極端に少ないのは、名神高速京都南ICを降りて、ものの10分も市街地を走れば門前に到着してしまう為だ。アクセスが良すぎて写真を撮る間もないという奴。

ちょっと写真が暗くなってしまった。只今午前5時38分。

 

ここから後ろを振り返ると、先ほどの踏切から見える駅がこちら。

道路を挟んで大鳥居のド真ん前。さらにひと町ほど西には、私鉄・京阪電鉄伏見稲荷駅もある。

 

鉄道駅2つと高速道路の出入口を間近に誘致するとは、つくづくこの浮世に絶大な影響力を持つ、強い神様なのだなあと妙に畏れ入る。

 

ではでは。

神社さんが好きだ。個人的感想だが、お寺さんとキリスト教の教会は雰囲気が似ている。いわゆる宗教的荘厳さという奴。むろんそれはそれで文化的な一つのテイストではあるのだが、どーもこう、「用のない者は来てはいけない」的な敷居の高さを感じる。

 

それに対し(不謹慎な言い方かも知れないが)神社というのは日本古来の「公園」でもある。誰もが自由に立ち入りできる。無論お参りも大事だが、木洩れ日や鳥の声、風の音を楽しみながら境内をゆっくり散策する。独特の解放感、居心地の良さを感じる。

 

昭和世代の私にとって、近所の悪ガキ共と鬼ごっこ、隠れんぼに興ずるのは、決まって近くの神社の境内であった。これ路上でやると大人達に怒られたものだが、神社さんでは誰にも咎められる事はない。汗と土にまみれ思い切り駆け回る事ができた。きちっと管理された「公園」である事の、なによりの証ではないだろうか。

 

私が好むこの神社特有の「解放感」、24時間参拝可(社務所や授与所はよそ様同様夕方で閉まるが)という事も手伝ってか、こちら伏見大社さんは特に強く感じる。上の、ショボい携帯カメラでの下手くそな写真、ローアングルでこの「解放感」を表現したかったのだが、果たして上手く伝わるであろうか!?

 

楼門前に鎮座し参拝者を見守る「狛狗」ならぬ「狛狐」さん。ユニーク。ああ稲荷神社に来たのだなと実感する。

 

楼門をくぐると現れる外拝殿。

大きな神事祭礼の際の、多目的ステージ兼祭壇、といった所か。

 

本殿はこの奥、さらに一段高くなった所にあるのだが、残念ながら「撮影禁止」の貼り紙があり、撮影は遠慮した。

 

恐らく「撮影禁止」というのは拝殿内部の事であり、建物の遠景は構わないと思われるが、本殿をご覧になりたい方、是非是非直接お参りあれ!それだけの価値は充分あるし、なによりお稲荷様があなたを呼んでいるという事ですよ!

 

代わりに、と言っては何だが、本殿横の授与所の看板をパチリ。

看板には写っていないが、あのお狐様がくわえている鍵形の破魔矢(?)とか、こちらの授与物、どれも趣向が凝らされていて大変面白い。小さなお守り袋一つ取ってみても、非常に可愛らしく高級感あるデザインである。この辺(不謹慎ながら)「さすが商売繫盛の神」と納得せざるを得ない。お参りの際は、こちらも是非!

 

本殿横を通り、さらに奥へ進むと現れる、あの超有名どころ

この千本鳥居を抜けた所に奥社があり、拝礼を済ませた後、いよいよ稲荷山山中へ。

 

これは境内各所に立つ案内板。

分かりにくい写真になってしまったが、中央左の「四ツ辻」この少し先に目指す眼力社さんがある。

 

これは参道脇の公衆トイレの看板。

この看板、昔から何故か妙に好きで、またまた不謹慎ながらパチリ。

 

せっかくなのでついでに用を足し、先へ進む。

いわゆる「千本鳥居」と呼ばれるのは、本殿と奥社を結ぶ、特に鳥居が密集するエリアの事であり、それを過ぎても、このように鳥居が立ち並ぶ「赤い回廊」、数々のお社、神跡、ビューポイント等を結びつつ、ぐるっと稲荷山を一周しているのだ。

 

しかしこの写真、今回のテーマの「青っぽい夜明け」、偶然だが一番キレイに撮れてないか?

 

ひたすら進む。

よく社寺仏閣の紹介文で「○○段もの石段を上がると・・・」といった文言を見かけるが、ことこれに関してはこちら、伏見大社さんに太刀打ちできるお社さんなどありはしない(断言)

 

何しろお社の公式HPや刊行物を拝見しても、一切記述がない。参拝客の安全のため、常にあちこちで補修、改修工事も行われている事だし、境内の石段の段数など、計数不能といった所であろう。

 

気合いで進む。

場所的にはもう少し上らしいが、あの清少納言が後から来た参拝者にどんどん追い越され、「しんどい」とボヤいた、これがその参道!千年前からの筋金入りである。

 

息が上がる頃、四ツ辻到着。本殿から歩く事20~30分といった所。

ここは少し開けていて休憩所(軽食アリ)もあり、昼間は小休止を取る参拝客でにぎわっている。

まだ時間も早く閉まっているが、こちらの休憩所、某有名俳優さんのご生家でもある。さあここまで来れば目指す眼力社さんはもうすぐ。道も平坦だ!

 

到着。

やはり正面からの撮影は気が引けるので、一旦携帯カメラをしまい、参拝しようか。

この眼力社さんをはじめ、稲荷山山中にご鎮座する数々のお社さん、境内の中にあるから伏見大社の末社なのかと言えば決してそうではない。皆独立した神様である。一方で御膳谷や清滝など、「伏見大社の」お社もやはり山中に点在している。この両者の関係、ちょっとカオスでワタシ的に面白いと感じるのだが、未だハッキリとした由緒は掴めていない。

 

一説によると、この稲荷山の独立したお社、かつて山中で修行していた修験者の道場がルーツになっている場合が多いとか。荒々しい古代の神々の息吹を感じる、まことに良い話だ。下手に由緒など求めず、「ロマン」としておいた方が良いのかも知れない。

 

さてここから、かつて伏見大社の本殿があった山頂を目指したい所だが、山頂付近の参道がこれまたカクベツ傾斜がキツく、運動不足のこの中年男は大概ここらでヘタレて引き返すのであった。

 

帰途、元来た参道を少しそれ、田んぼを見に行く。もう夜も完全に明け切ったようだ。

今は当然、冬枯れ、冬眠の最中。

これは10月に訪れた際撮影したもの。

奥に見えるのは、田植えや刈り取りの神事の際、神楽を舞うステージ。いいねえ。多分多くの参拝客でごった返すであろうから、その舞いを見る機会があるかどうかは微妙であるが。

 

現在お稲荷さんが「商売繫盛の神」と称えられるのは、日本の主産業が農業から商工業へシフトした、その事が具現化したものであり、元々は農業、大地豊穣の神である。つまり我々庶民の日々の活力の守護神、という訳だ。となるとこの境内の田んぼはある意味「ご神体」。参拝の際には必ずここを訪れ、深呼吸をしている。

 

眼力社さんへの参拝が主な目的なのだが、どうもこう、写真も記述も伏見大社さんの事が多くなってしまうな。やはりそこは全国三万社とも数万社とも言われるお稲荷さんの「大将」色んな意味で情報量がもう圧倒的、という事で。

 

田んぼの近くにある庭園。

もう少し早い時期に訪れたら紅葉がキレイであっただろう。残念!

 

こちらは庭園付近に鎮座するお狐さん。

もう一種類、背筋を伸ばしてツンとすました感じのお狐さんもあるのだが、ワタシ的に、このアグレッシブなデザインのお狐さん好きだなあ。

よく「お稲荷さんは祟る。」と聞くが、どうだろうか。ネット等を見ていると、「お稲荷様は怖い、龍神様は怖い。」等とさかんにおっしゃっているのは、主に仏教系の方だという印象がある。個人的にではあるが、それはかつての神仏習合による、あくまで「仏教的な」視点によるもの、という感想を抱かざるを得ない。

 

もちろん様々な意見はあって良いと思うが、私がこのお稲荷さんの本宮を散策して感じる事は、サイケデリックな程の威厳、崇高さや神秘性を見せつつも、境内を流れる空気自体は、とても優しく穏やかなもの。まさに大地豊穣の神の懐である。

 

今回もこうして暗いうちから一人ゴソゴソ歩き回っているが、怖い感じは全くない。日が昇っていない時間帯に神社に行くのは良くないと聞くが、あえて日中の混雑を避け、広大な境内をのびのび散策している間にだんだんと夜が明けてくる。とても気持ちが良い。そこには「祟り神」を想起させる要素など、何一つ存在しない。

 

なにしろ相手は「神様」だ。この直感的というか、感覚として得られたものというのは、割と大きな意味を持つのではないか?

 

次回もまた、暗いうちにゆっくり参拝するのだ

 

本殿横の能、神楽舞台。

この建物はライトアップされないので、明るくなるのを待って撮ったのだが、逆光になってしまった。しかしつくづく豪壮華麗なお社さんだ。

 

訪問時と似たアングルで。

すっかり夜が明け、明るくなった正面参道。

 

境内駐車場。

手前が我がムーブ号だが、午前7時の段階で、駐車場はもう既にこの様子。そして午前9時を回ると、今日も大型観光バスが鈴なりに乗り付けて来るであろう。

 

ここは日本屈指の史跡名勝。参拝を済ませ、ヒザが笑う位境内の散策を楽しんだ所で、駐車スペース1台分、そろそろ他の参拝者さんに譲るとしようかな。

 

では今回の締めに、「青っぽい夜明け」、四ツ辻付近から望む、まさに沈みかけの満月(九部月?)。

 

読んで頂き、ありがとうございました。

 

皆さんに、ご加護ご利益ありますように。