こんばんは!
国道2号を東に向かっている。現在隣町、尼崎市だ。
最近、大きなバイクで高速道路を走ったり暗い郊外に向かったりといった記事が続いており、特に前2回は真っ暗(真っ黒)なナイトクルーズとなった。
そろそろ「街の灯」が恋しくもなり、今回は軽く近場の夜の表情でも楽しむとしよう。ま、「いつものスタイル」と言えばその通りだ。
JR大阪駅前。
その前を通り過ぎる。今夜向かう先はもう少し東だ。
もうすぐだ。この天神橋筋が左に緩くカーブを切り始めたらそれが目印となる。
到着。
以前の記事でも述べたが、夜の神戸は仄暗く、むしろ落ち着いた風情がある。それに対し、深夜にも関わらずこのギラギラ感、近隣住民に睡眠障害でも引き起こしそうなレベルだが、やはりナニワの夜はこうでなくては。
天神橋一丁目。
かの有名な日本一長いアーケード街、天神橋筋商店街の、ここが入り口である。
ここ天神橋一丁目から北の六丁目まで距離にして実に2.6km、並走する地下鉄堺筋線3駅(2区間)にも及ぶ長い長いアーケード(多くのお店はもう閉店時間を過ぎているが)をこれから鑑賞しようという訳だ。
それは良いのだが、予想通りと言うか駐輪場らしき物は全く見当たらない。
「原チャ?んなもん、どこでも停めたったらええねん。」
と、これがナニワ流なのだろうが、他府県民である私、やはり長時間の迷惑駐輪は気が引ける。何より下手にそこら辺に停めてしまうと、散策を終えた後、この長い商店街を駐輪場所まで戻らなくてはならない。
バイク押して歩くしかないか。はてなブログバイクグループ、1500名以上が参加する中、「押し歩き」の記事を上げるなど私位のモノであろう(自己満足)。
・・・
通りゃんせ通りゃんせ。
商店街一丁目を通り抜けると、大通りにぶつかる。
大通りを越え、さらにアーケード街は続く。横断歩道を渡ると、そこから天神橋二丁目となる。ちなみに交差するこの大通りは国道1号線だ。
二丁目のゲートには文楽人形のレプリカ。
ナニワ情緒全開である。
ゲートをくぐる。
まだまだ先は見えない。
時折モンキー号を押し歩く私の横を、2トン車やデリバリーバイクが徐行しながら通り過ぎて行く。ひょっとして車両通行可?いや待て待て、彼らは皆商店街から許可を受けた車両かも知れない。
などとブツクサ考えながら歩いていると、この注意喚起。
とうに20時は回っているが、自転車でも押し歩くよう諭されているのだから、バイクは尚更だな。何より、日本最長のこのアーケード街、歩いてナンボである。よし、性根を据えて押し歩くとしよう。
溝之側筋という小さな通りを跨ぎ、三丁目商店街へ。
こちらは鳥居を形取ったモニュメントが吊られており、やはり天満宮の参道である事を意識させられる。
何やらアーケードの天井ばかり見上げているような印象だが、こちら天神橋筋商店街、およそありとあらゆる種類の(約600軒とも言われる)お店が、あるエリアに特定の業種が集まる等の傾向もなく、ランダムに軒を連ねているのだ。
よって、商店街「全体」のレポートとなると、私の拙い作文では到底不可能。大阪の超有名所の一つでもあるので、商店街の詳細についてはどうぞ旅行ガイド等を参照されたし。
「まいど おおきに」
とても気さくでフレンドリーな響きの、大好きな言葉だ。しかし生粋の関西人ではない私、未だこの言葉が咄嗟に口をついて出ない。これがポンと出るようになれば一丁前なのだろうが、果たしてその日は来るのか。
このネーミングセンスがまた。
なんか凄くいい。「大金」である!
おっ!ここええ雰囲気だなあ。
埋め立てられた運河、天満堀川と運河に架かっていた夫婦橋を記念するモニュメントだ。
このモニュメントを過ぎると、四丁目商店街に入る。
テントウムシが四丁目のシンボルデザインのようだ。どういった由来なのだろう。
大阪府が広告を出している。
夏に夢洲を訪れたがまだ更地やったぞ。頑張れ、妖怪ミャクミャク。
この四丁目商店街だが、
バーやカラオケボックス等、深夜営業のお店が多いようで、まだ看板が多く出ている。
ふー、如何に原チャリとは言え、延々バイクを押していたら汗ばんできた。
ブルゾンを脱ぎボックスに押し込む。
ここにも巨大なテントウムシが。
確かに半円ドーム型のスペースを最大限に活用できる意匠、デザインではある。
やがて五丁目に入るが、ここで一旦アーケード街を離れ、一筋ほど東へ。
まずはこの案内の出ている天満市場を見てみよう。
ルーツは江戸時代の天満青物市場。
商店街にそれこそ星の数ほどもある飲食店、食料品店を支える。さすがに立派なモノだ。
・・・
そして!日本一の商店街を少し東に外れたこの路地に、変わらぬ昭和レトロ情緒を発信し続ける「店」が存在している。例の如く営業時間外だが、今回のナイトクルーズの目的地である。
私のナイトクルーズには歓楽街や風俗街(店)がちょくちょく登場する。なにぶん夜走るもので、そういった「夜の街」の存在感が相対的に増す、それだけの事。下ネタ嫌いの方はご容赦頂きたい。
天満市場の一本北の路地。
ここにその昭和レトロな「店」がある。
で、到着!!
東洋ショー劇場。ストリップ劇場である。
劇場前を訪問したのは今夜が初めてなのだが、この劇場、個人的にちょっとした思い出がある。
高校時代、「東洋ショー」とあだ名された教師がいた。古文漢文の先生だった。東洋ショー劇場さん近辺での「目撃情報」が多い、つまりストリップ劇場の常連客なのではないか、と当時悪友共とバカ話で盛り上がっていたというワケだ。
むろん真偽の程など定かではない。が一つ印象深いのは、当時私は親の仕事の都合で福岡に住んでいた。思い出に残るは、今目の前にあるこの劇場ではなく「福岡の」東洋ショー劇場。確か繁華街天神を少し外れた場所にあったと記憶している(おっ!「天神」つながり)。
東洋ショー劇場。昭和の頃には全国に劇場を展開していた、ストリップ界の一大ブランドであった。それから時は流れ、今やここ大阪に唯一その名を残すのみ。
まだ二階の窓に明りが灯っている。踊子さん達の控室だろうか。
ふむ。エロよりも郷愁が先立つ。
昭和の最盛期、全国で300~400程もあったと言われるストリップ劇場。これが2023年現在、この東洋ショー劇場や東の老舗、浅草ロック座など全て含め、全国にわずか18軒。カルチャーとしてはまさに絶滅危惧種と呼んで良い。
確かに昔は繫華街に温泉街に、ストリップ劇場などどこにでもあったモノだ。先述の古文教師の噂話も然り、また子供の頃、親と一緒に歩いていて突然ストリップ劇場に出くわした時の、あの気まず~い空気なども懐かしい。
今やもう、こうして事前に所在地を調べ、こちらから真っ直ぐに「突撃」しなければ、この旧き昭和カルチャーに出会う事などないのだ。
・・・
さて、「終点」も近くなったアーケード街へ戻るとしよう。
五丁目の写真を撮り忘れたが、全体的に四丁目の延長といった感じ。深夜営業のお店が多く、この時間でもお店の看板がキラキラとしている印象だ。
六丁目に入る。
シンボルデザインは平仮名の「てんろく」、清潔感ある近代的なアーケードだ。
最近大阪に関する情報で、この「天六」の言葉を良く目(耳)にするような気がする。アーケード街の出口にある大阪市立住まい情報センターと併設される「住まいの博物館」大阪くらしの今昔館が有名だが、他にも何かしら情報発信基地なり話題のスポットなりが存在するのかも知れない(今ちょっと出て来ないが)。
写真奥に小さく見える出口。
この日本一長いアーケード街の終点だ。
商店街の出口と交差する、都島通りを渡った所で振り返ってみる。
向かって左のビルが市立住まい情報センター。そして地下には各方面と接続する地下鉄天神橋筋六丁目駅がドンと横たわる。
よって「人の流れ」的には、逆にこの六丁目が入り口で、五→四→三→二→一丁目と歩いて天満宮参拝、という道順になる。
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今回、ストリップ劇場を外から眺めただけでは記事にならないので、ついでにこの日本一のアーケード街を歩いてみた。当然、ついで記事の方が遥かに長い物となった。
いや、押し歩きに押し歩いたモノだ。
読んで頂き、ありがとうございました。