こんばんは!
若干、前記事を引きずるような内容だが、もう水上バイクの思い出話ではない。
週末、帰宅後に前記事の残りを書き上げ、「おっ!そういや忘れないうちに。」とモンキー号に飛び乗った。向かう先は明石。
そう、淡路ジェノバラインだ。
「調べる」と言っても、ダイヤや料金などはHPを見るか電話で問い合わせれば済む。要は明石側の乗り場。この場所さえ押さえておけば、当日道に迷って焦る事もない。
タイミング的にも丁度良い。言うなればただの所用なのだが、今後バイクライフに深く関わりそうな案件なので、ナイトクルーズに格上げである。
江坂だったか、所要時間を見るだけの所用クルーズを以前やったが、今回は場所。
しかしながら、私の「原チャリナイトクルーズ」過去最高走行距離をマークしそうなので、トリップメーターの確認はシッカリやっておく。
さてこれから国道2号を延々西へ向かう訳だが、神戸の中心三宮までの道中は、過去記事で何度か取り上げているし、割愛させて頂く。なに、今回はそこから先が長い。
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いつものハーバーランド前。
今夜は素通りだ。
JR神戸駅前を少し過ぎた辺り。
案内表示の通り、この先大きなY字交差点になっており、左側二車線は和田岬方面。引き続き国道2号を須磨、明石方面へ向かうなら、右側二車線に入る必要がある。
早い時間帯だと、この辺交通量も多くかなりの速度で車列も流れており、原チャリにとって相当な難所。と言うかこの交差点付近はハッキリ言って迂回する方が無難。危険である。
その交差点。目の前で道が二股に分かれている。
こうして呑気に右車線で信号待ちできるのは、今はもう深夜でクルマが殆ど走っていないからだ。
クセになる味、「ぼっかけうどん」の発祥地。
庶民的な「下町」だ。震災で最も甚大な被害を受けたエリアでもあり、「以前の昭和っぽい雰囲気がなくなってしまった。」とはここに住む知人の弁である。
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と言えば
である。
公園の木々が青いのは、道路向かいにあるラブホのネオンのせいであり、別に怪奇現象とかではない。
どれ、
あの水族館はもうリニューアル工事に入ったようだが、ちょっと立ち寄ってみよう。
浜へ出る。あれ?
ここ、普段は夜も釣り人や花火で遊ぶ若い子らで賑わっているのだが、人っ子一人おらず、静まり返っている。
そういう事か。
あれほど大きな施設の建て替え工事となると、やはり隣接する公園も一時閉鎖する必要があるという訳か。
このようにフェンスで仕切られ、立ち入りできなくなっているエリアが多い。
公園の出入り口も封鎖されている個所が多く、それを見て引き返す人も多いのだろう。
東西の端の出入り口から、浜に出れますよー。
缶コーヒーで一服。
この先、しばらく海沿いを走る。
須磨浦公園前。この辺りからだ。
左手にJRが走っており、そのすぐ向こうが海。非常に景色が良い。ただし昼間。
神戸市の西端だ。
写真奥の少し明るい所、前記事で立ち寄った淡路SAだ(多分)。
舞子公園。
前回記事でブツクサ文句を垂れつつ渡った橋、日付が変わった深夜、ライトアップも落とされている。
しかしつくづく「昼間の絶景ビューポイント」、夜来てもただ真っ暗なだけだな。
ここを過ぎると、間もなく目指す明石市だ。
写真左端のJR朝霧駅前で国道2号から枝分かれをしている、国道28号に乗り明石港方面へ向かう。
この国道28号、ここから明石港までの2km程の短い国道と見せかけ、明石ー岩屋(淡路島)間の海上不通区間を経て淡路島を縦断し、次は鳴門海峡の海上不通区間を経て四国にまで達するというトンデモ国道である。
国道28号沿いにある大蔵海岸公園。
以前はよく立ち寄ったものだが、もう何年ぶりかの訪問だ。
足が遠のいた理由、それはこの大蔵公園のすぐ先にあった「とある施設」、大のお気に入りで良く通っていたのだが、潰れてしまったのだ。行ってみよう。
通りに立つ、不自然にベタ塗りされた案内表示。
私の記憶が正しければ、このベタ塗りの左半分、「岩屋行きフェリー乗り場」と記されていた筈だ。
明石海峡フェリーだ。
フェリー乗り場跡地。
鉄板のコインパーキングだ。
多分この辺り。
乗船ゲートがあったのだが、もう撤去されている。
この明石海峡フェリー、復活の噂もチラホラ聞くが、こういうのを目の当たりにしてしまうと、いつぞや記事にした尼崎の銭湯同様、私のお気に入りに復活の日は来ないと言わざるを得ない。
私はモノグサだ。ツーリングと言えば行き当たりばったりでも何とでもなる、行って帰って来るだけの一泊コースが最長だ。北海道や九州行きの長距離フェリーなど過去一度も利用した事はない。
しかしいつかはロングツーリングに出かけたいという思いは、やはりある。そこへ持って来て、例えばこの明石海峡フェリーの「20分の船旅」、ロングツーリングの気分だけでも味わうという意味で、もう最高だったのだ。
橋やトンネルではこれの「互換品」たり得ないのである。
さて、グーグルマップ様によると、ジェノバラインの乗り場は同じ明石港内、ここから岸壁沿いを2~300m程西に走ると到着のようだ。
おっ!
何やら田舎の駅前にある小さなバスターミナルのようだな。うむ、ええ佇まいだ。
なになに、バイクのお客様は50m東へ、か。
おお、「バイクのりば」とあるぞ。
桟橋だ。
小さいながらやはり「旅情」タップリだ。これこれ!こういうモノこそが旅人を和ませ楽しませるのだ。
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「船着き場」で特に印象に残っている物として、生まれ故郷にかつて存在した青函連絡船のそれがある。
奥羽本線、函館本線の「一部」である青函連絡船、船内にレールが敷いてあり、旅客と共に列車も運ぶ。船には貨車だけを押し込み、対岸の函館駅に気動車が待機する、確かそんな運用方法だったと記憶している。
「鉄道」なので当然乗り場は駅の構内。一部のホームが岸壁まで延長され、そのどんつきに旅客ターミナルがあった。
連絡船を利用するため青森駅を降りると、まず中央改札口へ向かう人波とは逆の方向へホームを歩く事になる。この「津軽海峡冬景色」まんまのさいはて感、当時子供心に強く印象に残ったモノだ。
歌にまで歌われ、しかも「鉄道がらみ」で旅情全開のこの佳き物をゴミ箱行きにして、代わりに現れたのが、そう、こちらはトンネルである。
難工事に次ぐ難工事で34名もの殉職者を出し、血税を湯水の如く投入し、当初の予定から何十年遅れの開通である。そうまでして通す、まさに「時短」「効率」が絶対正義であった時代の産物である。
開通の時、既に家族で故郷津軽を後にしており、この津軽海峡線、親類を訪ねた際に一度乗っただけなのだが、開通当時世界最長の、しかも珍しい海底トンネルではあっても、決して水族館のグラストンネルのような面白い物ではない。
車窓から眺める景色なんぞ、そこら辺のトンネルのちょっと長いバージョンである。暗闇の中、無機質なコンクリの壁が延々続く。旅情?ない。海底駅?長いトンネルによく作り付けてある、ただの資材置場だ。
あいにくとコセコセした貧乏旅行しか楽しめない身分ではあるが、近年見直されている「ムダの豊かさ」、実に良い流れであると思う。
あの時代、失われてしまった物が多い。特に余暇で利用する時、「時短」「効率」など必ずしも正義ではないのだ。欧州が国威をかけコケたコンコルドの例もある。海底トンネルなど掘る前に、できれば気付いて欲しかったモノだ。
と、ジェノバラインの可愛らしい桟橋を見て、こんな事を考えてみたりもした。
・・・
帰途。神戸市東灘区。家までもうすぐだ。
やたら眠気が来ると思ったら、夜が明け始めている。
夜中12時過ぎに家を出て、あちこち寄り道しながら原チャリで明石まで往復したら、まあそうなるな。
淡路ジェノバライン、今後のバイクライフにどれ位影響を与えるだろうか。これで有料酷道を通らず淡路島へ渡るイメージはできた。しかし日帰りだとモンキー号では島の北部、頑張っても洲本あたりが限界であろう。淡路島用125ccなんてのが欲しくなるかも知れない。
行って帰って来ただけで80kmか。
ふむ、原チャリクルーズではなかなか手応えのある距離だ。
それやこれや含め、今後が楽しみで仕方がない。
読んで頂き、ありがとうございました。