這い上がる!?

工場労働者の日々の小さな煩悩ブログ

ナイトクルーズ22 ミスターバイク。

こんばんは!

 

消耗品がヘタった状態でだましだまし使用を続けると、やがて本格的に故障する。機械物の常である。金がない金がないと喚き散らすのも程々にして、いい加減モンキー号の修理をしなければならない。

 

修理が終われば、また例の近場徘徊クルーズも存分に再開できる訳だが、その前に近場は近場なのだが、モンキー号では辿れないコースを今夜は軽く流してみたい。

 

・・・

 

時に80年代第一次バイクブーム。土曜の夜バイク乗りの「聖地」と呼ばれた第三京浜保土ヶ谷PA。当時そのイメージリーダーの一人であったモータージャーナリスト、ミスターバイク佐藤信哉氏。

 

公道300km/hの伝説のバイク乗りである。今時のモータージャーナリストで、こんなクレイジーなマネをする奴は、私の知る限り、いない。

 

当時佐藤氏のコラムやインプレを楽しみに、ミスターバイク誌を毎月欠かさず購入していた。

 

何も公道300km/hばかりではない。例えばインプレとなると、他のモータージャーナリスト達がやれドライバビリティだのスタビリティだの訳の分からん横文字並べて提灯記事ばかり上げる中で、佐藤氏の論調は常に「歯に衣着せぬ」ストレートなもの。

 

「高ぇゼニ払ったんなら、床の間にでも飾っとけ。」

 

500万払って「乗る」価値はないと。当時「楕円ピストン」で話題をさらったホンダNR750をこう断じたインプレ記事など、もう永久保存版と言って良い程の痛快ぶりであった。

 

彼に影響された多くのバイク乗り達が、土曜夜、佐藤氏プロデュースのKADOYAバトルスーツに身を包み、愛車に跨り保土ヶ谷PAに集結していたという訳だ。

 

・・・

 

この保土ヶ谷PAの「関西版」と呼べるのが、大阪と尼崎の境に位置する阪神高速湾岸線中島PAである。

 

その理由として、佐藤氏の友人で、ミスターバイク誌にも度々登場した松本虎吉氏という方がいて、この松本氏、煽って来たシャコタン車の運転手引きずり出してボコったとか、一杯200円のコーヒー飲むためにわざわざ横浜まで走ったとか、実に「当時らしい」エピソードを以て紹介されていたバイク乗りなのだ。

 

で、この松本氏、神戸の方でZ1300に乗っているらしい、と。特に週末この中島PAから湾岸線、ハーバーウェイを経て摩耶埠頭間での「目撃情報」が多く、この「虎吉さん探し」をすべく、皆バトルスーツに身を包み、中島PAから摩耶埠頭まで三々五々走りつつ情報交換を楽しんでいたというワケだ。

 

この辺のノリがいかにも関西的なのだが、私も当時の愛車Z1000Jローソンレプリカレプリカに打ち跨り、6回払いで買った(大変高価なモノだ)バトルスーツで、この土曜の夜の情報交換会に参加していたのだ。

 

「珍獣か!」当の松本氏からツッコミが入りそうである。

 

・・・

 

「おっ、ローソンですか!」

 

「と見せかけて実は~~・・・!!」

 

てな具合で、私の偽ローソン、中島PAで割とモテた。「本物」との細かな違いを開陳しては盛り上がったモノだ。

 

もし松本氏と出会えたなら、きっとにこやかにお話しできたに違いない。しかしZ1300・・・見なかったなあ。当時私はローテーション制の仕事に就いていて、土曜夜に時間が取れるのは月1~2度程度であった事も関係するかも知れない。

 

所用ではあれから何十回となく立ち寄ってきたのだが、この土曜夜の特別な中島PA、久々に繰り出してみるとしようか。

 

景気が悪くなって以来、一方の摩耶埠頭の方は真っ暗でガランとしていて、いい画像も撮れないし、あまり行きたくないのだが、ひょっとしたら颯爽とZ1300を駆るとっつぁん(失礼)に出会えるかも知れない。その時は・・・。

 

「松本さんですか?」

 

何十年来の「小さな夢」、楽しみである。

 

・・・

 

ではでは、一周回って再び手元にやって来たZ、今度は偽FXだ。

歴史は繰り返す。

 

国道43号。

モンキー号クルーズでいつも使っているルートだ。

 

私の記憶では・・・。

確か中島PAに行くのにこの入り口は使えないハズだ。

 

もう一つ大阪寄りの入り口と言えば・・・ああ、USJの横だな。夏の大阪港散策でこの辺すっかり詳しくなった。なにせ愛車モンキー号をブッ壊す位走り倒したもんなあ。

 

中島PA到着。

小さなPAだが、

眼下スグが海で、割と絶景が楽しめる。

 

若かりし頃、土曜の夜にバトルスーツでキメ、ここへ繰り出していたという訳だ。

 

ちなみに今夜のライディングウエアだが、ぺらっぺらの夏用カーゴパンツにワークブルゾン(夜は涼しくなった)、

トンクル(作業手袋)に、

夏場、私の定番「ライディングシューズ」、鳶靴だ。

「グリップ力」はさすが◎。ただし歩き回る事を前提とした靴ではないので、普通の靴として転用すると、靴底の減りが早い。だが気にする事はない。一足2000円程である。

 

とまあ今夜もホムセンライダー炸裂させている訳だが、セミオーダーで届けられるバトルスーツ、あの見た目によらず着心地は良い。が、少しでもメタボ腹が出てきたならもうOUTだ。とうの昔に、知人にあげた。

 

さてそんな土曜夜の中島PA、バイクの姿は・・・?

極めてまばらである。

 

「土曜の夜だよ?」などと悲観する事はない。言うまでもなく昨今のバイクブーム、125ccが主力である。通勤時間帯、矢の如く突進する赤ナンバーの大群を見よ!週末、あれがそのままツーリングビークルへと化けている訳だ。

 

高速走行なんぞ単調で退屈なだけだし、当時は道の駅なんて気の利いたモノは存在していなかった。バイク乗りの「動線」が変わった、それだけの事。

 

おや?この写真よーく見ると、私のバイクの後ろに、(一見して最近の高年式車だが)あの頃流行ったバイク漫画で言う所の「デカ尻女」がいる!

 

バイクは高速道路から立ち去ったが、コイツはまだハイウエイ、ワインディングの「主」として君臨し続けているのだな。結構結構。最近は絡んでくるバイクもいなくてさぞ寂しかろう!

 

さて出かけようか。次は真っ暗な摩耶埠頭かな。

湾岸線は眺めは良いが、とにかく休憩ポイントが少ない。

 

・・・という文句でも出ているのか、新しい(?)PAが出来ている。

南芦屋浜PA

 

特に用もないが立ち寄ってみた。

自販機とトイレだけの、「ミニPA」という奴だ。

 

・・・

 

摩耶埠頭出口を降りた所・・・だが。

バイクは無論、この出口で降りるクルマ自体まばらだ。皆先のハーバーランドポートアイランド方面へ向かって行った。

 

後方の明るいヘッドライトは大型トラックのもの。ここはつまり「そういう場所」だという事。Z1300などいない可能性が99.999%だが、まあとりあえず一回りしてみよう。

 

道路の真ん中。

しばらく寝そべってもいい位だ。バイクは無論、全く人もクルマもいない。

 

埠頭南端付近。

いつもの公衆トイレショットが、本日唯一の撮れ高となるか!?

 

こちらは北端。摩耶埠頭入り口にあるコンビニ。

やはりバイクの姿は、ない。

 

・・・

 

結局松本虎吉氏には会えず(当たり前だ)、ミスターバイク誌は現在、電子版で細々と生き残っているのかな。

 

そしてこの摩耶埠頭。暗く寂れ散らかしている事は前々から知ってはいたが、それ以上にフェンスが張り巡らされ、岸壁に立ち入る事ができなくなっていた。岸壁にバイクを停めフッと黄昏れる、この昭和のバイク乗りよろしくクサくキメる事ももうままならないのだ。

 

隔世の感。第一次バイクブームは遠くなりにけり、実感である。

 

しかしながら、悲観的な感情は一切湧いて来ない。なにしろ現在「あの時以来」、生産が全く追い付かない程のバイクブームの最中である。最近のハンターやPCXの、オーナーにとってファーストバイクたらんあの造り込み、見ていて非常に面白く感じる。

 

そのうち125cc一台、衝動買いしそうで怖いが。

 

今回はそんな第一次バイクブームの思い出を辿るクルーズとなったが、ただただ懐かしく、ホッコリした気分に浸っていた。

 

読んで頂き、ありがとうございました。